食料・食器

食料

 神戸は六甲山の麓、御影石の上に立っているから、地震はよそごとと思っていた私達の考えを根本からくつがえし、現実として体験した。その後は、常に3日〜1週間の備食、非常用品を貯えている。

(垂水区、70歳)

 日もちする食品を必ずおいておくことです。たとえばラーメンみたいなものです。日がたつと段々とうすれていくものですが、この経験を忘れないようにしたいと思っています。

(長田区、50歳、女性)

 食糧は、乾物(海苔などすぐ食せるものから乾麺・海藻類)を常備していたこと、大根・白菜など冬野菜のほか、芋類・干し柿・餅がたくさんあったこと(実家から送ってきていた)が心強く、役立った。

(灘区、45歳、女性)

 冷凍してあった残りご飯は順次自然解凍していき、手持ちの野菜・餅などと卵雑炊などにした。これは家族のみならず役立った。近所の乳児を抱えた奥さんが、でんぷん質のものがないため乳が出なかったと聞いた。

(灘区、45歳、女性)

 食事についてはおでんが一番(上からとつぎ足すことが出来る)。

(東灘区、女性)

 スーパーなどが混雑していて品物が不足してきたとき、冷蔵庫の冷凍食品をストックしておいたことはよかった。

(北区、30歳、女性)

 子どもの頃、常備食として母が台所の籠につるして蓄えていた乾物類をみていて、私も何となく買い込むようになっていました。冷蔵庫に入れなくてもいいものばかりです。それがこの度の地震で役立ちました。知恵とかアイディアとか立派なことではないのですが、少しの買い置きで助かりました。インスタントラーメン、うどん、そば、高野豆腐、干し湯葉、椎茸、切り干し大根、キクラゲ、干しぜんまい…を冷蔵庫の残り物と合わせて利用し、また、手作りの塩昆布、梅干し、ラッキョウ、いかなごのくぎ煮(垂水の名物)…などもずいぶん役に立ちました。青い野菜は多く出回るまでキャベツで我慢しました。避難先の長男宅近くの妙法寺(須磨区)の八百屋で大根1本千円、いちご1箱千円と随分足元を見た商店がありました。それでも取り合いになるくらい売れていました。

(垂水区、67歳、女性)

 ごはんも何の気なしにいつもお昼ぐらいにと思って残していましたのが、おじやにして1食分を2回に分けていただき、とても助かりました。

(長田区、56歳、女性)

 

食器

 紙皿、紙コップ、サランラップを買っておく。

(西区、62歳、女性)

 食器は、食器洗い機の中に入っていたいつも使っている安い食器以外はほとんどわれてしまったので、カップラーメンのカップを食器の代わりにして、そこにサランラップをひいて何度も使えるようにしてご飯を食べていました。私は今、このような知識や体験を決して忘れることはないと思います。

(須磨区、19歳、女性)

 サランラップをお皿の上に先に敷く(洗わなくてすむ)。

(東灘区、女性)

 壊れても悔いのない物しか購入しない。

(中央区、51歳、女性)

 食器は洗えないので、ラップ、割りばし、プラスチック容器、紙コップ、ティッシュなどと、レトルト食品、パックのごはん、カップめん、缶詰などが役に立ちました(缶詰には缶切りをセットにしておくとよい)。

(須磨区、65歳、女性)